第三話 夜空の渦巻から銀河鉄道へ

 今回の主人公は宮沢賢治です(正しくは宮澤賢治。以下では賢治と略させていただきます)。賢治がファン・ゴッホの作品に魅了されていたことは有名です。実際、賢治は花巻農学校の生徒たちにも、ファン・ゴッホの『ひまわり』を見せるなど、ファン・ゴッホ熱は高かったようです。その証拠に『ゴオホサイプレスの歌』が詠まれています。

 

サイプレスいかりはもえてあまぐものうづまきをさへやかんとすなり

(『【新】校本 宮澤賢治全集』第一巻 短歌・短唱 本文篇、98頁(筑摩書房、1995年))

 

ここでサイプレスは糸杉のことです。「星月夜」の絵(前回の図3)の左に描かれている木です。この句には「うづまき」という言葉が出てきますが、賢治が「星月夜」を見ていた証拠でしょう。

森村泰昌は『自画像のゆくえ』(光文社新書、2019年)の中で、この「星月夜」の絵が賢治の『銀河鉄道の夜』の構想に影響を与えたのではないかと推察しています。ちなみに賢治の短歌に“星月夜”が詠みこまれている一首もあります。

 

星月夜なほいなづまはひらめきぬ三みねやまになけるこほろぎ。

『【新】校本 宮澤賢治全集』第一巻 短歌・短唱 本文篇、318頁(筑摩書房、1995年))

 

 じつはファン・ゴッホが弟のテオに宛てた書簡の中に『銀河鉄道の夜』を彷彿とさせる記述があります(書簡506信1888年7月頃)。それは、“ひとつの星に行くには死に乗ればよい”という一文です。『銀河鉄道の夜』は、まさに死出の旅路の物語です。生きて地上に帰ってきたのは、主人公のジョバンニだけでした。

ファン・ゴッホは天上の星々の世界に行くには、「死」という乗り物に乗る必要があると主張しました。そして、賢治はその乗り物として銀河鉄道を選んだということです。

賢治はゴッホの『星月夜』は見ていたでしょう。もし賢治がこの手紙も見ていたとすれば、『銀河鉄道の夜』はゴッホの置き土産として賢治に受け継がれたことになります(図4)。

図4  奥州宇宙遊学館と天の川。奥州宇宙遊学館は賢治も出かけたことのある旧・水澤緯度観測所の歴史ある建物を利用しています。上の写真はJR釜石線の宮守川橋梁を渡る釜石行きの最終電車です。まるで銀河鉄道のようです。 (撮影:畑 英利)